横浜日独協会

ソビエト連邦/ロシアという国への一考察(3)

横浜日独協会会長 成川 哲夫(2023年10月)

私は1985年9月フランクフルトにあるドイツ興銀に赴任し、融資部でドイツ等の他に東欧、ソ連も担当することとなった。ソ連は共産主義の理想を掲げながら、東欧を自国勢力圏として実質支配し、自由と人権を抑圧する全体主義国家でもあった。こうした国との交渉は常に一定のリスクを抱えたものであった。

(1)その後の6年を超えるドイツ滞在中に世界を揺るがす歴史的な出来事が起きた。それは1989年11月のベルリンの壁の崩壊と90年10月のドイツの再統一、そして88年~91年にかけてソ連が内部分裂を起こし、単一の主権国家としての存続が不可能となり、91年12月、米国と並ぶ超大国として世界の覇権を争ったソ連は消滅した。これに伴って東欧諸国は共産圏からの自立を果たした。

(2)情報公開と改革を進めてソ連を段階的に民主化しようと試みたゴルバチョフ大統領は、1991年7月にロンドンで開催された先進国首脳会議G7に初めて参加した。私の記憶では、ソ連は89年までは新規借り入れを必要としない状態であったが、90年には輸出の不振を背景に経常収支が急速に悪化、その結果ソ連は多量の金の売却と外貨準備の取り崩しを余儀なくされた。

深刻な経済困難に直面したソ連に対する経済支援は、当時世界が抱えていた最も大きな課題の1つだったはずであるが、ソ連に対する経済支援についてはG7でも大きな進展は見られなかった。私には、ソ連の経済困難を放置した場合、その影響が政治面、経済面、あるいは安全保障面の様々な分野で西側に及び、さらに経済情勢が悪化した場合、ソ連という広大な領土、人口、資源そして核を持つ経済大国が、民主化、自由化、市場経済化によって、その混乱の中から世界市場への統合に成功する事は到底不可能に思われた。予想通り、その後ゴルバチョフ大統領は急速に支持を失い、エリツィンが登場した。エリツィンは91年12月にソ連を消滅させ、ゴルバチョフは辞任した。 89年の冷戦終結からわずか2年、米国との核軍拡競争や資源価格の低下に疲弊したソ連はあっけなく崩壊し、米ソ2極体制は終わりを告げた。米主導の西側は湾岸戦争にも勝利し「歴史の終わり」に酔うことになる。

(3)西側の支持を受けたエリツィン大統領は、経済的ショック療法を断行し、価格統制廃止、貿易自由化、国有企業約22万5千社の段階的民営化を実施した。こうした一連の政策はロシア経済と国民生活を大混乱に陥らせ、その混乱の中で、石油企業など巨大な国有資産は、ほとんど叩き売られ、ロシア国内の新興財閥である オリガルヒが莫大な利益を得ることとなった。その後旧ソ連圏は混迷の10年を迎える。1990年代前半の経済改革で新たに独立した国々ではハイパーインフレが起こり、国民生活は困窮を極めた。特に性急な市場経済への転換と民主化によって、ロシア国民は大きな挫折を味わい、国民の生活と意識に深い傷痕を残すことになった。そうした混乱に乗じてプーチンが大統領に就任した。プーチンの登場で、振り子は大きく逆側に振れ、再び独裁体制が確立されて行く。こうした一連の出来事から我々は何を学ばなければならないのだろうか。プーチン大統領は後に、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的大惨事」と呼び、多くの国民もソ連への郷愁に駆られるようになって行った。

(4)ソ連崩壊から32年、継承国ロシアは「大国の復活」を掲げるプーチン大統領の下で再び強権体制へと傾き、その勢力圏を維持拡大しようとしている。ウクライナ侵攻はヨーロッパで起きている局地的な出来事に留まることはない。西側諸国は、一連の対ロ制裁によりロシアへの圧力を高めている。しかし制裁がロシアに打撃を与えることは確実だが、エネルギー大国となったロシアほどの大きな経済を持つ国に、これほど大掛かりな制裁が加えられたことはない。制裁による効果を期待するなら、西側も自らの痛みと犠牲を伴う長丁場を覚悟しなければならない。 しかし中国のロシアへの支援、グローバルサウス諸国の支持が必ずしも得られていない現状で、その結束を維持していくことは大きな困難を伴う。

(5)こうしたドイツの統一やソ連の崩壊といった一連の動きは、当然国際業務を手がけていた旧興銀を含む邦銀に大きな影響を与えた。1989年以降債務状況が悪化したソ連、東欧諸国の対外債務残高は増加を続け、民間からの資金供与は急速に絞られ各国の資金繰りは厳しさを増した。東欧諸国では債務は90年末には総額800億ドルに達し、ソ連でも対外債務残高が89年以降急速に増加、90年末にはグロスで650億ドル(ネット430億ドル)に達した(91年経済企画庁年次世界経済白書)。 ソ連が解体した時、ロシアは700億ドルに上る大半の債務を引き継ぐ選択をし、その債務交渉が行われることとなった。その後幾度も金融団との協議を繰り返し、最終的に返済猶予、金利引き下げ、債務の一部免除が行われた。債務交渉は、公的債務はパリで、民間債務はフランクフルトで行われた。私は91年10月に日本に帰国し審査部(企業調査部)に所属していたが、ロシアとの債務交渉にも関わることとなった。(4へ続く)

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